雅峰生の手紙

私が妻や友人に宛てて書いた郵便から

手紙の過去分は順次当サイトから削除して『断章』としてまとめ、
『小説家になろう』に掲載後、 Kindle で電子書籍化しています

5738-備後落合

収支が悪い鉄道の線区が発表になり、廃止前にと、遂に家族で一泊旅行に出掛けました。奥さん子供を連れて、一日中列車に揺られる旅です。新幹線と特急列車には別段何かの面白味があった訳ではありませんが、その先の支線がもう言語に絶する魅力でした。現役の路線だというのに、線路の間が雑草でいっぱいです。枕木が見えない場所が多かったです。おまけにカーブ区間も短いレールなので、恐らく線路が自らの慣性で直線化し、ジョイント部分でかくかくと角度を変えているのが見えました。線路の継ぎ目の度に左右方向に激しくぐんと揺れます。速度が二十五粁(キロメートル)程度であってもです。そして目的地である山間の中継駅、備後落合駅に着くと、雰囲気が満点でした。往時の、夜中でも人の動きと汽笛が響いていたこの駅は、今眠る様にしてその場に在りました。

20220430備後落合1

此処(ここ)を舞台に、以前小説を書いたのです。私がこの場所にやって来た理由は、その舞台の『確認』に来る意味もありました。廃止されてしまってからではこの『確認』はまず無理ですから。そして私のこの作業は無事に終わりました。そして言葉に出来ない『予感』を、また新たに与えられて、私はこの駅を後にしました。『真夜中の汽車』。時は昭和三十二年、この備後落合駅で深夜の二時代に上下が交換したC五十六牽引三輌編成の快速夜行ちどり、それとその汽車に乗る客がよく利用した駅から一番近い、勿論今はやめてしまって建物だけが残っている大原旅館を描いたお話です。その場所を実際に確認出来て良かった。奥さんと息子には、本当に御苦労様、有難うの気持ちでいっぱいです。

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ずっと昔、私が子供の頃に鉄道雑誌で見たこの駅の写真と、その写真から私が四十年以上あたため膨らませた夢の供養は終わりました。ですからまた、次のお話を書かなければなりません。私が小説を書くのは、正に自分の夢を供養する心持ちなのです。その気持ちが私の書くお話には、一番相応しいと思っています。