誰からも顧みられる事のない、棄てられた何か。何でも可(い)いです、そういう何ものか。私は子供の頃からそういうものに惹かれました。そしてその傍に近寄って行って、出来れば触り、そしてその近くでその棄てられたものと話をするのです。私の世界は実はそうやって広がっていったものであると今私は思います。それと遠い遠い町からやって来る、或いは遠い遠い町へと走って行く鉄道の列車に拠って、私の心は造られました。私は、私には、この二つが必ず同時に在りました。私の生活の中に同時に存在していて潰(つい)える事が無かったのです。それが私という人間を構築したのでしょう。そんな風に私には思えます。
それこそ何者かの意図が私という精神のこの決定的な形成に絡んではいないでしょうか。私がそう言いたくなるのも自然であるとは思いませんか。無理もないと思いませんか。そう言いたくなる程に私は私が必要とするものを欠く事が無かったのです。恐いくらいです。私は自分の事を、ただ偶然に一切の『意図』から離れて何者からも独立無関係に存在しているとはどうしても思えません。そんな気楽で希薄な立場を夢想するのを無責任とさえ感じます。私がそんな無責任な立場に自覚的に身を置くなどと、そんな虫の良い話が天罰無しに済ませられる筈がありません。雷が私を撃つでしょう。私は現在の私となった、既になっている以上、必ず逃れられぬ『役目』があると思うのです。既に『助けられている』のです。だからこの事に就いて『支払う』義務が必ずこの私にはある筈です。この感覚を迷妄と捨て去り否定する程に私は馬鹿ではありません。