私の場合昔の光景を見るだけで癒されます。古い木造の平屋の家が土道の左右に続いている光景、山道を歩いていて不図(ふと)開けた場所に出て来ると板葺(いたぶき)の家の窓から炊煙があがっているその様子、淋しい単線の鉄道線の車窓から見ると田畑が続きその奥にそれらの土地の主であろう人の昔風の野良着の服装とその前で昼寝する犬、そういうものです。それらが私には静かな心の鎮めになります。
しかしそれに理由があります。それらを見た私の心が反応し、私の中に何かしらのものを呼び覚ますからです。若しもそれが無かったとしたら、詰まり私の側で呼び起こされる内容が無かったとしたら、私はそういう風景に出逢っても何一つ『感じない』でしょう。『昔の景色だ』、それ一つ浮かんで私は早速生活上の問題の考察に入って仕舞うでしょう。
そんな風に自分の側で『補う』、否それを『完成させる』ものが必要なのです。私が恐れるのは私がそれをなくす事です。