雅峰生の手紙

私が妻や友人に宛てて書いた郵便から

手紙の過去分は順次当サイトから削除して『断章』としてまとめ、
『小説家になろう』に掲載後、 Kindle で電子書籍化しています

3485

市場を歩く、街並を歩く、空地を歩く、工業地帯を歩く、山を歩く。私は全部好きです。そう、全部好きなのです。好きだと思えるのです。その歩いている間中、私は想う事があるからです。それだけで十分楽しいのです。ほっとするのです。

私が自分の想うべき事を想いながら居る時、私は自分の事を『油断していない』と見做す事が出来ます。そう、本当は私は、大切な人達の事を思っている時だけ自分の事を本当の意味で油断していないと思うのです。それ以外は、実は全部油断なのです。全部、全部です。如何に無理に思えても、そうなのです。

3484

一つの事を馬鹿みたいに続けている人に出逢ったら、私は怖くなります。それはそういう生き方が、私には人間の最も貴い生き方に思えるからです。その人は如何なる気持ちでそうやって暮らしているのか、何(ど)んな動機でそういう営みを続けているのか。

純一(じゅんいつ)、一途(いちず)、これ程怖いものは他にありません。怖ろしいと思いませんか。それはそうでない生き方をして来た、今もしている人間の人生を過去から現在迄全部一遍にひっくり返す力をもっているからです。まるで自分がその上に立っている絨毯を容赦無く引き剥がす様に。だから自らが、自分自身が一途(いちず)に生きましょう。

3483

既に自分に与えられている幸運を忘れ切っているところには、例外無く更なる幸運はやって来ません。幸運と謂うか、真実に潰(つい)えぬ幸福と謂うか。更なる幸福も、或いは今迄に経験した事の無い猛烈に厳しい試練も、等しく現在自分がもっている幸運を自分で理解していて初めて正しく対処出来るものです。

自分に与えられている幸運を忘れている事は、油断の最も深刻なものです。そうでなくて一体何でしょうか。

3482

若しも『生きなければならない』だけだったら、それは耐え難い苦痛でしょう。しかしそれが『生きたい』と一緒に在ったら、その生きなければならない義務の観念は、いきなり全力で、生きたいという自分の願いを後押しし始めるのです。恰(あたか)も急勾配の登攀に苦しむ機関車を補機が力強く援ける様に。

私は斯(こ)ういう事に気が付いていたい。それは実に大切な事に繋がっていると信じるからです。そういう事に気付かずに居て、どうして自分の一生を真実に充実して生きて行く事が出来るでしょう。

3481

しまんとする旅に雨は良からず。然れども心慰めんとて往(い)く旅に、雨何等の支障(さしさわり)無し。却って相応(ふさわ)し。寧ろ有難し。自ずから余分を削ぎ、勝手に心を一つに集め、而(しか)して旅の甲斐を吾に連れ来るに非ずや。

新しきを識(し)らんとせず、逆に古きを更にとき解(ほぐ)さんとす。旅の斯かる真価無くして、抑(そも)それは何ぞや。旅にこの面目無くして、何に至らんとするものなりや。吾の行路に唯一つの徒労莫(な)し。聖意吾が頭上に絶ゆる事無ければなり。

3480

生活の質素は、まともに生きる為にどうしても必要です。何も若い時の私の様に極端に貧相な服装を纏うなんて事はしなくてもいいですが、それなりにくたびれるまで衣服や靴は用いましょう。そして食事は品数多からず、野菜を主体にしてしみじみと味わって食べる事が出来るものを。これは収入の多寡財産の規模に関係がありません。自分の精神の状態を健康に保つ為には、収支の状況に関係無くこれを守る必要があるのではないでしょうか。

金持ちはこれを守るのが難しいのです。分かるでしょう。これさえも、私は恵であると思っています。