家に小さな子供が居ると、私が自分一人で何処(どこ)かに行きたいという気持ちがあまり湧いてきませんね。それよりも子供と一緒に過ごしたいという気持ちの方が強い様に思います。何処かに出掛けるのなら、奥さん、子供も一緒に。そう感じるのです。
若い頃からずっと独り行動してきた私です。父母の待つ帰る家さえあれば、いつも独りが良かった私です。しかし今、それが確実に変わってきています。家族というものの力は凄いですね。私はいつも仕事や家事に追われながら、実は心でそんな事を想っているのです。幸いです。
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自分がなるべく無傷で生き残る事が生涯最大の目的である人間の言葉を、どうしてこの私が、
「そうですね。全く仰る通りです」
などという顔をして、また実際その言葉を口にして、受け容れなければならないのですか。馬鹿にするにも程がある。人を何だと思っているのか。そんな事をしたら私はその瞬間に気が違って仕舞うでしょう。若しかしたら気が触れて何か手近な所に置いてあった鈍器か鋭利な金属棒を相手に投げ付けるかも知れません。思い切って馬鹿気た騒動がその場に持ち上がりそうです。またそんな時に限って、一発で相手の命を奪う事に成功するのではないでしょうか。正確に心臓や他の急所に命中したりして。だから心神耗弱を理由に私が裁判で減刑される可能性は低いと思います。プロの殺し屋でも一発で仕留めるのは難しいというのに、だからです。そうなのです。私はそんな時には、必ず私が言い逃れ出来ない様な結末に至るのです。不思議な程に。
私はそういう人間を人間として扱う事を全力で拒否します。そんなもの、人間が生きる姿ではありません。貧しくても可(い)い、私は人間らしく生きたいのです。そっちの方がずっとずっとマシです。
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『生きていても詰まらない』。観察ばっかりしているからです。世相を分析して評論家みたいなことばかり思っているからです。実践してみて下さい。立所(たちどころ)に世界はその様相を変えます。依然として汚く、残酷で、善くないものの巣窟の如き世界ではあるでしょう。しかし生きるに値しないものではなくなっている筈です。自分がするべき事が何も無い、そんな風には感じる事の出来ない空間にそれは成っていませんか。
自分の価値観の実践はこれを変えるのです。斯(こ)うやって変えるのです。何か一つの具体的行動を生活に組み入れて下さい。あなたの溢(こぼ)す不平不満が、尤もで意味の有る正当な不平不満に変りますよ。