雅峰生の手紙

私が妻や友人に宛てて書いた郵便から

手紙の過去分は順次当サイトから削除して『断章』としてまとめ、
『小説家になろう』に掲載後、 Kindle で電子書籍化しています

6958

一人になる事、家族の中で暮らしている私にも必要です。一般に人が時々一人になる事が必要なのかどうかは知りませんが、私にはそれは必須の事です。独り居る時でないと聴こえない声があります。従って独り居る時でないと辿り着く事の出来ない『結論』というものが私にはあるからです。しかし同時に思います。私は家族で生きるからこそ時々一人になる必要があるのであって、抑々(そもそも)家族も心に抱く人も居ない状況で生きるなどという事は絶対に出来ない、と。私が一人になる事を求めるのは自分独り居る事を愛してそれを求めるのではなく、家族と共に生きる、より善く生きる為、そういう厳然たる一つの目的の為の手段です。完全に手立ての一つなのであってそれ自体が目的なのではありません。
自分が求め欲するものがそれ自体が目的であるのか、それともそれは何らかの手段なのか、これを知っておく事は大事な事であると思っています。人は自分が真実に何を求めているのかを知る事で自分が何者であるのかを知る事が出来るからです。自己に対する信頼も軽蔑も、そこに懸かっているのですよ。

6957

「悪魔は悲劇の完成に必要な最後の引き金を悪魔自身が引くのではなく、その当人に引かせる。そうでないと悲劇は完成しないからだ」
シェイクスピアにありそうな言葉ですが、私の言葉です。つくづく思います。最後の最後は、当人がその抜き差しならない状況を作っている、間違いなくその責任を負うているという事を。
『苦(にが)いなあ』程度の後悔ならば、年齢(とし)が行けば却って微笑ましいでしょう。しかし私は、そんな程度の事で済まない後悔を知っています。七十歳八十歳になろうと人を自殺に駆り立てる程の後悔があるのです。そんな状況に立ち至れば、最早一切の慰安、娯楽、気分転換は意味を失います。到底自分自身を信頼出来ませんから何かを創り始める事も出来ません。そうなる前に、そんな馬鹿な事を仕出かす前に、それをしてはならぬと気付きましょう。自分を殺して仕舞う程の事態、それは間違いなく取り返しのつかない後悔です。他の誰かによって浴びせられ加えられた悪意暴虐ではありません。

6956

策によって切り拓かねばならぬ状況というのもあるでしょう。諸葛亮や司馬懿に学ぶべきです。しかし一方で力任せに障害を叩き割る関羽張飛の剛腕が無いと先に進めないという事だってあります。私の生活のシーンは幕舎帷幄に在って謀(はかりごと)を巡(めぐ)らす軍師の役目だけでは覆い尽くす事が出来ません。直情非理知、感覚の武人である事が必要な場合も確実にあるのです。
面白いとは思いませんか。一人の人間が生きる時に、世に謂う単独の立場だけでは済まないというのは。人は結構様々な立場に身を置かねばなりません。それも心ならずもではなく自分らしく在る為にです。世を気にする事を根本的な次元で恥とする私の如き人間にしてそうなのです。他の人間ならば余計にそうでしょう。だからこそ各立場に通底する根本的な立場が必要なのです。軍師たる時でも武人たる時でも侠者たる時でも論客たる時でも、全てを通じて『これが自分である』と謂う事の出来る、全ての立場を『生み出す』統一的で根源的な立場が。自らそれを把握して以って自己の本体核心と見做し、その不変をもって自らに寄せる信頼を失わざらしめるそういう立場が。
私はそういう事を想う人間です。私が欲しいのは合理でもありますが合理に尽きません。斯かる私を営む事を許す、そういう力を供給する、それ程の人間的な『情』です。

6955

お金があると行きたいと思っている所に行く事が出来ます。過日久し振りに家族で一泊旅行に行きましたが、途中の駅とその駅前が非常に雰囲気が良く好ましいものに感じられました。愛想の良い、それでいて綺麗な喫茶兼食堂があり、楽しい時間を過ごしました。またこの駅からは今となっては珍しい寝台特急が停車し翌朝には東京に着く事が出来るという魅力的な利点もあります。四五日逗留し、好きに時間を用い、小説を書く、そんな明治大正時代の文人の真似事などしたいとも思います。けれども実際にそんな事をするには実はその旅行計画以前に無言の前提があります。私が人生の目的を失って取り乱していない事、私が自分自身を嫌いになってしまっていて何をしても面白いと感じる事が出来なくなっているという事がない事、それらが前提として確立していないとその魅力的な町と雖(いえど)も私にとっては単なる下らん、暇でする事もない、退屈極まりない田舎町に変貌してしまいます。私は先(ま)ずこの前提を確保し、その上でそんな旅行をする時間的金銭的余裕があるならすれば良い訳です。
私の言いたい事はお分かりですね。順序です。順番です。大切なものには順序があります。枝葉実現の為に根本根幹を疎(おろそ)かにせぬ様心すべきです。それはその人の人生を直撃します。かするのではなく直撃するのです。

6954

「暇だなあ、する事が無い。このままでは馬鹿になりそうだ」
いや、既に、立派に、馬鹿になっていると思います。完璧になり遂(おお)せていると思います。これは馬鹿になって最早(もう)久しい人間の言葉です。馬鹿になりたてだとこの言葉を発するにまだ躊躇しますから。
どうして町に出て行って、手押し車を押しているお婆さんが信号を渡る時に横から助けてあげないのですか。何故住んでいる町の中でも貧相な地区に立ち入って、お腹を空かせていそうな子供を探さないのですか。別に本当にそういう人達が居なくても可(い)いではありませんか。何か見付けられるでしょう。何か、畳に寝転がって『暇だなあ』を連発していては絶対に知る事が出来なかった事を知る事が出来るでしょう。
本当にそういう時間的余裕があるのなら、家の中に寝転がっているのではなく外に出て下さい。本来生きている人に暇はやって来ないものですよ。

6953

この厳しくも非人間的な社会で生きてはいけないと思いますか。正しくもありまた誤ってもいます。あなたが瞼に浮かべ想像している厳しく非人間的な社会というのは、この社会の『厳しく非人間的な部分』だからです。この社会が隅から隅まで本当にそんな部分ばかりで構成されているなら、私だって生きてはいけません。ところが、あなたはまだこの社会の人間らしくあたたかくい部分を知りません。だから僅かの標本数から全体を推し量り認識せざるを得ない、そういう状況のもとに社会を把握しようとするものだから、純粋に科学的な観点からですら間違った結論に至るのです。あなたはまだ全くと言って可(い)い程この『社会』を知りません。これが本当に現代か、この人は本当に現代の人間なのかと疑わざるを得ない様な、そんな人の輪にも個別の人間にもあなたは未だ出逢っていないでしょう。そうですよね。それを知らずに厳しく非人間的で血の代わりに蒸留水しか流れていない様な人間ばかりを見て、それで『そんな社会では生きていけない』と判断しているのです。お分かりでしょうか。
私の謂うのは、その、本人の自覚としては極めて真面目に考えている『筈』の考察に潜む不遜です。まだろくろく『知らない』癖に、全て見渡し見知ったかの様に『悩む』。これは個々個別の人間に対しては不遜ではありませんが、運命に対しては明白に不遜です。あなたはまだ生きるべきです。少なくとも自分のこの不遜を自ら不遜であると実感出来る時までは。